「食べる」ことを応援する 室蘭登別食介護研究会 市民講習会
東日本大震災から5年〜フクシマからのメッセージ
はじめに
去る2016年3月12日(土)、登別市の鉄南ふれあいセンターにて、「東日本大震災から5年〜フクシマからのメッセージ」と題して、市民講習会を開催しました。
(50名を越える市民の方々にお集まり頂きました)
ご承知のように、東日本大震災が起こった日は、3月11日。ちょうど5年(と1日)が経過したことになります。
主催者代表である私、皆川夏樹は、震災の時、福島県のいわき市におりましたが、2年半後、登別市に転居/避難してきました。高齢になる両親が伊達市に住んでいた、という事情はあったものの、小さな子供3人を抱えて福島から逃げ出してきた、という思いも隠しようはありません。福島は、津波、という直接の震災被害からは復興を遂げつつあるにしても、目には見えない放射線の恐怖、という被害は今もなお継続しているのです。
逃げ出した者、残った者、それぞれに、負い目を抱え、恐怖を抱え、それでも生活は続いていきます。
この度は、福島県内から4人の講師をお迎えし、5年経った福島の今、を伝えてもらいながら、一方、登別から福島支援を続けておられる佐藤孝夫さんにご報告をお願いしました。
以下、私を含め、資料の残っている方の分のみ、になりますが、講演内容を掲載いたします。
【当日のプログラム】
14:00〜14:15 ごあいさつ・基調講演 「 3.11を忘れない 」(皆川夏樹(みながわ往診クリニック院長/室蘭・登別食介護研究会代表))
14:15〜14:45 「福島市から/甲状腺癌の推移」(吉田圭治先生(歯科医師))
14:50〜15:20 「郡山市から/避難者の受け入れ・食介護の現状」(大竹葉子先生(言語聴覚士))
15:20〜15:50 「いわき市から/福島産水産物の安全性」(鈴木孝直先生/小川一夫先生(歯科医師))
15:50〜16:10 「福島 葛尾村 復興支援活動の報告」(NPO法人おにスポ事務局長佐藤孝夫氏)
(吉田圭治先生) (鈴木孝直先生) (小川一夫先生) (大竹葉子先生)
基調講演 / 3.11を忘れない (皆川夏樹)
東日本大震災は、2011年3月11日に起こりました。
今日は、あれから5年と1日、になります。
私は、そのとき、福島県のいわき市で生活をしておりました。市内の総合病院に勤務しておりましたが、その日撮った写真は、こんな具合に残っています。
(看護師休憩室) (入院患者避難)
直接被害、としては、大したことではなかった、のかもしれません。知り合いの、小高、という、海沿いの地区の院長先生からのちにもらった写真はこんな風で、海岸地域は津波のために全滅、に近い状態でした。
(小高地区の町並)
そして、この地震の約2年後の2013年4月に、登別に越して参りました。
福島県は、地元では、大きく、浜通り・中通り・会津、と呼ばれ、それぞれ異なる文化圏、の様相を呈しています。原発があったのは浜通り、いわきは同じ浜通りで、原発周辺からの避難者が最初に押し寄せると同時に、市内海岸沿いからの津波被害者も内陸部に避難しました。
5年の月日が経って、新聞やテレビなどでは、あらためて震災関連のニュースなども多く流れています。多くの被災地では、復興が進んでいる、という明るいニュースもあれば、今も残る傷跡を中心に報じるニュースもあります。
福島、は、その中でも特異な位置を占めている、と思います。
言うまでもなく、放射線・放射能の問題を抱えているからです。
私は、震災後2年間、それまで勤務していたいわき市内の総合病院での仕事を継続しておりました。伊達市に住んでいる両親が80歳を超え、母はグループホームへ入所しており、父も入退院が多くなり、といった事情もありましたが、やはり、引っ越しをした一番の理由は、小さな子供が3人おり、この先も、放射線障害に怯えながら生活を続けることに納得がいかなかったからです。私は、フクシマから逃げ出してきた、その負い目もまた強く感じています。
これが私の家族、3人の子供らです。震災の年の暮れ、磐梯山のスキーの写真、子供らは、地震のころは、上から、6歳4歳2歳、今は11歳9歳7歳になっています。
(2011年暮れ) (2016年正月、ニセコ)
これは、つい先程も、北海道大学まで行って検査を受けてきましたが、子供の甲状腺検査の結果です。この検査は、この先彼らの人生、ずーっと続くものなのです。
(娘の甲状腺検査結果)
これは、うちの子らが通っていた保育園の門を入ったところに建てられた、空間放射線量を測る測定ポストです。町のあちこち、特に子供らの集まる場所に次々に建てられ、日々、放射線量、について意識をさせられるようになる。しかし、放射線の話、というのは、いまさらながら、ですが、通常生活していても、特に気がつくことの少ない問題です。住んでいれば、目に見える障害がないので、なんとなく慣れてしまう。「このくらい」でも大丈夫なんだろう、と、自分なりに解釈をしていってしまう。
(空間線量計)
私たちが目にするニュースの多くは、津波被害の大きかった三陸地方のものであったり、あるいは、原発そのものの事柄、あるいはそのごく周辺で、今も避難を余儀なくされている方々のもののようです。逃げ出した私が言える立場のものでもないのですが、原発から『少し』離れた、いわき市や郡山、福島市のニュースが少ないことに、なんとなくひがみのような思いを感じてしまったこともあり、今日はそれら、福島県の中では「中核都市」とされるそれらの市の方々をお呼びして、あの、爆発を起こした原発から『少し離れた』土地での、いま、をお話しいただこう、という企画です。これらの町は、原発からそれぞれ、いわきが30−40q、郡山・福島市が60q、の距離です。この、『少し離れた』土地での生活は、いったいどういうものなのか。
こちらのスライドは、お分かりかと思いますが、泊原発、であり、大間原発の予定地、であります。30−60q、というこの距離は、札幌であり、登別室蘭であり、函館、を巻き込む距離であり、我々にとって決して他人事ではないもの、とお考えください。
今日お招きした先生方は、私が個人的にお付き合い、と言いますか、「食介護」ということで一緒に仕事をしていた仲間の先生方で、それぞれ、歯科医、と、言語聴覚士、というお仕事をされている方々です。口の中のことを専門としつつ、「おいしく食べ続ける」ということをテーマに、高齢者や障害者、お子さん方などを主に診療に当たっている方々ですが、ですから、必ずしも、地震のことや、放射線のことについて、特別お詳しい、という方々ではありません。今日は、正面切って、「原発反対」とか、「地震対策」とか、というお話をしたいのではなく、医療活動をしているとは言え、原発から40−60qくらい離れたところで、あまりニュースにも上らずに、少し怯えながら、胸を張りながら、「普通に」生活をされている方々に、あの地震から5年経った今の生活、今の仕事をお聞きしよう、ということを趣旨としています。
その中で、それぞれの先生方には、私自身気になっているテーマを、少しずつ触れてもらうようにお願いはしました。先ほど触れましたが、子供を中心とした、甲状腺癌、の問題。原発被害後、福島県内の、「避難区域」外の子供たちに、甲状腺癌は増えているのか、いないのか。・・・それから、食べる、ということとの絡みで言えば、いわき、というのは、港の町ですが、いわきの水産物はどうなっているのか。こちらにいても、福島の食べ物は、ほとんど入ってくるのを見かけません。昨年は、桃を大々的に出していたようですが、流通はどうなっているのか、そして、地元の人は、魚を、あるいは農産物を食べているのか。・・・
それから、「連帯」というのでもないのですが、「フクシマからのメッセージ」に対する、登別からのお返事、として、NPO法人おにスポの佐藤孝夫さんの方からご報告をお願いしました。佐藤さんは、葛尾村、という、これは原発から30q圏内ぎりぎりくらいの村ですが、そちらに、継続的に復興支援活動に出向いて下さっている方です。
それでは、私の方からのご挨拶はこのくらいにしまして、早速、皆さんのお話を伺うことにしたいと思います。
「福島市から/甲状腺癌の推移」 (吉田圭治先生)
★甲状腺癌に関連する、一連の報道
2016.2.9
国連科学委員会、福島を訪れ、教職員対象の説明会などを開き、「2014年までのデータから、がん発生増加の可能性は無い。また、甲状腺がんへの影響も考えられない。」と発言。
2015.9.16
津田敏秀氏が甲状腺がん多発の論文を公表予定と。
子どもの甲状腺がんの発生率が50倍とか。
2015.11.10 (文科省の調査に基づいて)
県内の帰還困難区域を含む各地で採取された農作物中のストロンチウム90の測定値は他県と同じか低めで、事故前とほぼ同じレベルと考えられます。ストロンチウムの放出量は事故直後よりもかなり少ないと指摘されていましたが、それを裏付ける研究結果です。
今回の事故におけるストロンチウムの放出は非常に限定的と言えます。最高濃度の場所で双葉町付近の5,700Bq/uと、チェルノブイリの最低値である
20,000Bq/uには届いていない点で地図比較にならない程度です。もちろん、原発構内や建屋周辺では、ある程度高い場所も有ると思われますが、現時点では書き加える材料がありません。
・ 歯科医師会では、東北大学等と合同で乳歯のストロンチウム測定プロジェクトが、事故に伴い測定値が上昇している可能性は、否定的。今後も追跡調査を続行の予定。
2015.10.28
原発事故から4年も過ぎているのに、未だに科学的な判断ができず、反原発の主張のために間違った情報を拡散し続けている人たちに、怒りがこみ上げてくる!
ちなみに、国道6号線で福島を通過する際に被曝する1.2μSv程度が怖いと言うならば、飛行機にも乗れない。国道6号線上空には、確かに空間線量率が高い部分が有るが、放射性物質が飛び回って拡散されているわけでない。
(広瀬隆、木内みどり対談に対して)
2015.6.23 (友人 清水先生からのメール)
我が母校の福島高校をはじめとして、全国12の高校、フランス、ポーランド、
ベラルーシなどの高校の学生たちによる放射線に関する共同研究が、英文論文になりました。東大の早野先生が開発した24時間経時的に被曝線量を計測できる小型線量計 D-shuttle を用いた研究で、原発事故が起きた福島県とベラルーシの外部放射線被曝量は、他地域と大差無かっ_ 82スという内容です。
彼らにとっては誇らしいことだと思います。この中から、将来素晴らしい研究者が何人も輩出されることでしょう。指導にあたられた福島高校の先生方、早野先生には本当に頭が下がります。様々な復興支援を見てきましたが、個人的に一番感動したプロジェクトです。
2014.7.26
朝日新聞デジタル ニュース
先天異常「全国と同じ」/厚労省、福島の赤ちゃん調査
2014.4.7
甲状腺がんの発見頻度、福島と他県で変わらず/環境省
2014.4.2
原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)報告:
福島での被ばくによるがんの増加は予想されない
ウィーン、2014年4月2日(UN Information Service) - 本日新たに、2011年の福島第一原子力発電所事故が起こった後もがんの発生率は安定したレベルを保つ可能性が高いとする国連報告が発表された。
「2011年東日本大震災の原発事故による放射線被ばくのレベルとその影響」と題される当該報告書は、原子放射線の影響に関する国連科学委員会により製作された。
報告では、福島原発事故の結果として生じた放射線被ばくにより、今後がんや遺伝性疾患の発生率に識別できるような変化はなく、出征時異常の増加もないと予測している。
その一方、最も高い被ばく線量を受けた小児の集団においては、甲状腺がんのリスクが増加する可能性が理論的にあり得ると指摘し、今後、状況を綿密に追跡し、更に評価を行っていく必要があると結論付けている。甲状腺がんは低年齢の小児には稀な疾患であり、通常そのリスクは非常に低い。
「人々が自身や自分の子どもの健康への影響を懸念するのは当然のことである」と、UNSCEARの議長、カール=マグナス・ラルソン氏は述べ、「しかし、本委員会は、今回の評価に基づき、今後のがん統計に事故に伴う放射線被ばくに起因する有意な変化が生じるとは予想していない」との見解を示している。
これらの解析結果は、様々な集団(小児を含む)の被ばく線量の慎重な推定と放射線被ばくを受けた後の健康影響に関する科学的知見に基づいている。
解析によれば、対象とした集団のがん発生率への影響は小さいと予想されるとし、これは日本の当局側が事故後に講じた迅速な防護措置に拠るところが大きいとしている。
委員会は、報告された作業者の被ばくについても解析を行い、また、一部の作業員の被ばくを独自に評価した。委員会の評価は、報告された線量と概ね一致したが、事故の初期段階での被ばくについては不確かさが残っている。「本委員会は、がんや他の疾患の識別できる・ '9d加は予想されないと結論を出している」と、本評価の議長であるウォルフガング・ワイス氏は述べている。
委員会は、また、陸上及び海中の生態系への放射線被ばくの影響を評価し、影響があるとしても、いずれも一過性のもので終わるとみている。
海中の生態系については、植物相と動物相が影響を受ける可能性は、原子力発電所に隣接する海岸域に限定され、長期に影響が及ぶ可能性は小さいと予想された。
2014.3.14
11日、TV各局特番。
報道ステーションは酷い! 県立医大が正式に抗議文
2013.7.20
ニュース:新生児、原発事故影響ない 19日、県立医大が調査結果発表
東京電力福島第一原発事故の後に生まれた県内の新生児に何らかの異常があった割合は2.7%と、一般的な率とされる3〜5%と同程度で、原発事故の影響はないものと考えられる。
★ICRP ( International Commission on Radiological Protection ) : 国際放射線防護委員会について
イギリスの独立公認慈善団体(NPO)であり、科学事務局の所在地はカナダのオタワ。助成金の拠出機関は、国際原子力機関や経済協力開発機構原子力機関などの原子力機関をはじめ、世界保健機構、ISRや国際放射線防護学会(IRPA :
International Radiation Protection Association)などの放射線防護に関する学会、イギリス、アメリカ、欧州共同体、スウェーデン、日本、アルゼンチン、カナダなどの各国内にある機関からなされている。
1928年設立の「国際X線およびラジウム防護委員会」を基に、1950年独立して対象を電離放射線に広げ、今の名称となった。
目的は、科学的、公益的観点に立って、電離放射線の被ばくによるがんやその他疾病の発生を低減すること、および、放射線照射による環境影響を低減することにある。
日本との関係
2007年の勧告では、1年間の被曝限度となる放射線量を平常時は1mSv未満、緊急時には20〜100mSv、緊急事故後の復旧時は1〜20mSvと定めている。この勧告に基づき、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震に伴う福島第一原子力発電所の事故に際し、ICRPは日本政府に対して被曝線量の許容値 2通常の20〜100倍に引き上げることを提案した。ただし、事故後も住民が住み続ける場合は1〜20mSvを限度とし、長期には1mSv未満を目指すべきだとしている。これを受け、内閣府の原子力委員会は、累積被曝量が20mSvを超えた地域において防護措置をとるという方針を政府に提言した。
★甲状腺癌について、県立医科大学からの発信
津田敏秀博士らの論文の方法の誤りを指摘した Letter が「 Epidemiology 」誌電子版に掲載されました。
2016年2月5日
福島県立医科大学放射線医学県民健康管理センターの情報管理・統計室室長である高橋秀人教授を筆頭著者とする本学の教授8名のLetter(英字400字)が、2016年2月3日、疫学の学術誌「 Epidemiology 」の電子版に掲載されました。
この Letter は、2015年10月上旬に同誌の電子版に掲載され、津田敏秀博士らによる「 Thyroid Cancer Detection by Ultrasound Among Residents Ages 18
Years and Younger in Fukushima, Japan : 2011 to 2014 」と題する論文の解析手法の誤りを指摘したものです。当該学術誌では、掲載論文についての反駁を受け付けるカテゴリーが英語400字の Letter であることから、解析の誤りの本質に焦点を絞りました。
津田博士らの論文では、福島県で実施している県民調査の甲状腺検査について、甲状腺がんの潜伏期間を4年間と仮定したうえで、福島県における甲状腺がんの罹患率が全国の罹患率と比較すると超過であり(例えば、中通りの中部の場合、50倍)これはスクリーニングで説明できるようなものではない、と述べられています。
この論文では、下記@とAの仮定が共に成立していることが前提になっております。
@ 原発事故後に「全てのがんが甲状腺検査(がん健診)で発見できるまでに進展した」
A 「がん健診で発見されたがん」の全てが、4年間に臨床症状で発見されるまでに成長する(潜伏期間4年)
この前提について、@に関しては、原発事故が起きる前にも、がん健診で発見できるまでに進展した甲状腺がんが存在した可能性があり、Aに関しても、がんの進展(成長)が遅く、4年間は臨床症状(体調が悪くなる、声がかすれたり物を飲み込みづらかったりするなど自覚症状がある、甲状腺の腫れが表面から分かる、など)が出て医療機関を受診し、その甲状腺がんが発見されるまでには進展しない可能性があります。実際甲状腺がんは一般的に進展が遅いということが知られており、甲状腺がん以外の原因で亡くなった高齢者の解剖(剖検)をすると、甲条3腺がんが見つかることが少なくありません。その甲状腺がんは、ご本人が亡くなるまで悪さをしなかった(=臨床症状が出なかった)というのは、実際とはかけ離れた仮定です。しかし、津田博士らは、@Aに関する二つの可能性を無視した解析をしています。
つまり、本論文の本質である、福島県の甲状腺がん罹患率や、その罹患率を用いた全国の罹患率との比較について、津田博士らの結果は、実際とはかけ離れた糧を前提として得たものですので、必然的に実際とは違っている(真の値を得ることができない)と考えられます。
なお、甲状腺がんが健診で発見される状態になってからどれだけの期間が経過すれば、臨床症状が出て発見されるようになるか(=潜伏期間)、については、まだ多くのことがわかっておらず、今後更なる研究が必要であると考えております。
投稿誌:Epidemiology
Letterタイトル:Thyroid Cancer Among Young People in Fukushima
投稿時タイトル:Serious error in “Thyroid Cancer Detection by Ultrasound
Among Residents Ages 18 Years and Younger in Fukushima,
Japan : 2011 to 2014
著者:高橋秀人、大平哲也、安村誠司、大津留晶、ノレット・ケネス、
谷川攻一、阿部正文、大戸斉
*全員、公立大学法人福島県立医科大学の教員であり、放射線医学県民健
康管理センターの業務に携わっております。
オンライン掲載日:2016年2月5日
★東大理学部物理の草野教授
震災直後からTwitterで原発事故に関する科学的に正しい情報を発信して、福島県民に安心感を与え続けてくださいました。ボランティアで福島県のホールボディーカウンターの校正に従事し、自腹で膨大なデータの採取を行い、専門分野外の論文をまとめて、その成果を世界に発信されてきました。多くのマスコミで、その情報を伝えましたが、興味本位の間違った受け取り方をしていることが多かったようです。
放射線そのものの影響よりも、無意味な避難による社会生活の崩壊、精神的ストレスなどの方が、大きな被害を与えている。
★山下俊一先生
1952年生まれ
2004年12月15日 WHO本部環境健康局放射線専門科学官に任命 2年間
2006年長崎大学大学院医歯薬学総合研究科附属原爆後障害医療研究施設教授に復帰
2011年3月19日 福島県放射線健康リスク管理アドバイザーに任命
同年4月1日 福島県立医科大学特命教授(非常勤)となる
同年7月15日 長崎大学大学院教授を研究休職し、福島県立医大特命教授・副学長(業務担当)
★第20回 福島県民健康調査検討委員会 会見/2015.8.31
福島県は31日、東京電力福島第一原発事故を受けて実施している福島県民健康調査の専門家会議を開催し、新たな甲状腺がんデータなどを公表。甲状腺がんと疑われる子どもは検査対象の38万人のうち137人となった。すでに手術を終えたのは105人。病理診断に '82謔閧P人は良性結節、残り104人が甲状腺がんと確定した。
今回、公表されたのは今年6月30日までのデータ。
2011年から2013年までの「先行検査」では、二次検査の穿刺細胞診断で悪性疑いと診断されたのは1人増え、113人に増加。そのうち99人が手術を実施し、1人が良性結節と確定診断、ほか95人が乳頭がん、3人が低分化がんと診断された。今回、新たに増えた1例はいわき市。
また、2014年から2015年にかけて行われている2巡目の「本格調査」で悪性・悪性疑いと診断されたのは、前回より10人増え25人となった。
新たに診断された10人の市町村は、浪江町1人、南相馬市1人、伊達市3人、福島市2人、本宮市1人、郡山市1人、桑折町1人。そのうち、1人が新たに手術を終え、これまで6人が乳頭がんと確定診断された。今回がんと診断された25人の子供のうち10人が、1回目ではA1、13人がA2と診断されており、計23人が「問題なし」とされていた。
過剰診断か?〜県立医大が手術症例を公表
「過剰診断なのではないか?」
こうした疑問に応えるため、福島県立医大は県の要求に対応し、「手術症例」を公表した。福島県立医大の甲状腺内分泌外科部長の鈴木眞一教授の公表データによると、今年3月31日までに外科手術した104例のうち、県立医大が手術を実施したのは97例。術式は甲・ 'f3腺すべてを摘出する全摘が6例(6%)、片葉切除90例だった。
全症例96例のうち、術後病理診断で甲状腺外浸潤(pEX1)のあったのは38例(39%)、リンパ節転移は72例(74%)。
肺への遠隔転移は3例。10ミリ以下の腫瘍で、リンパ節転移も、甲状腺外浸潤、遠隔転移のないもの(pTlapN0M0)は8例(8%)だった。
いずれも、術後出血、永続的反回神経麻痺、副甲状腺機能低下、片葉切除後の甲状腺機能低下などの術後合併症はないという。
検討委員
明石真吾(放射線医学総合研究所 理事)
井坂晶(双葉郡医師会 顧問(前会長))
稲葉俊哉(広島大学 原爆放射線医科学研究所長・教授)
春日文子(国立医薬品食品衛生研究所 安全情報部長(前日本学術会議副会長))
北島智子(環境省 環境保健部長)
児玉和紀(放射線影響研究所 主席研究員)
清水一雄(日本医科大名誉教授 金地病院 名誉院長(日本甲状腺外科学会前理事))
清水修二(福島大学 人文社会学経済経営学類 特任教授)
高村昇(長崎大学 原爆後障害医療研究所、国際保健福祉学研究分野 教授)
津金昌一郎(国立がん研究センターがん予防・検診研究センター長)
床次眞司(弘前大学 被ばく医療総合研究所 放射線物理学門 教授)
成井香苗(福島県臨床心理士会 東日本大震災対策プロジェクト代表)
星北斗(一般社団法人福島県歯科医師会 副会長)
前原和平(福島県病院協会 副会長(前会長))
室月淳(宮城県立こども病院 産科部長、東北大学大学院医学系研究科先進発達医学講座 教授)
「いわき市から/福島県水産物の安全性」 (鈴木孝直先生・小川一夫先生)
1 いわき市の現状
【東日本大震災の概況】
発生日時 平成23年(2011)3月11日(金)
震中場所 三陸沖(北緯38.1度、東経142.8度)
震源の深さ 約24km / マグニチュード 9.0
いわき市の震度 6弱 / いわき市の最大津波高 8.57m
【いわき市の被害の状況】(平成27年(2015年)1月1日現在)
死者・行方不明者 460人(うち関連死130人)
身元不明遺体ゼロ(平成28年1月19日)
住家等被害 9万541棟(うち全壊・大規模半壊1万5、197棟)
被害額 373億3、221万
避難者 / いわき市内から市外へ1、552人(平成27年)
【いわき市の現在の状況】
・いわき市は被災地でありながら原発事故避難者を受け入れている
(いわき市民と避難者の皆さんとの共生)
・原発事故収束のための後方支援基地
・いわき市の農業、水産業の復活(原子力災害からの復興・創生)
【いわき市の復旧事業】
・いわき市復旧計画 / 事業費ベースで平成26年度末の進ちょく率100%目指している(平成25年度末で91%)
・ガレキ処理の進ちょく状況
平成26年(2014)12月末で99%
【原子力災害対策】
@ 放射線内部被ばく検査
・平成26年4月末まで全員、預託実効線量1ミリシーベルト未満
A 甲状腺の検査
・平成26年10月31日現在悪性ないし悪性の疑い0,04%)
B 食品など放射性物質の検査
・平成26年4月1日〜平成27年1月31日は、いずれも検出限界値未満
C 安全確認のため、市内農産物や1次農産加工品のモニタリング
・市内6ヶ所で検査、平成26年度の農産物、一次農産加工品5,789件のうち100㏃超はなし。平成26年12月31日現在いわき市の出荷制限は野生のキノコ、露地の原木ナメコ、野生タラノメなど8品目
D 自家消費用作物などの放射能簡易検査
・平成26年4月から12月末まで100㏃超はシイタケ、イノシシニク、タケノコ
・平成25年度21ヶ所の検査場から26年度から14ヶ所に統合、平成27年3月からは非破壊式放射能測定機器を14ヶ所に導入
E除染
・保育園、教育施設は平成25年度までにすべて完了
・都市公園は平成26年度までにすべて完了
・住宅は平成27年度内に完了の予定
2 東京電力福島第一原子力発電所の現状
【廃炉までのロードマップ】
【福島第一原子力発電所の当面の課題】
【汚染水への取り組み】
【凍土壁水壁】
3 福島産水産物の安全性
【東京電力福島原子力発電所の事故による影響】
平成28年3月2日現在、28種の海産、魚介類に国から出荷制限指示
事故直後から福島県の沿岸魚業は操業自粛を余儀なくされている
(沖合魚業は通常操業)
【海産魚介類に関する国の出荷制限指示(平成28年3月2日現在 福島県)】
出荷制限(28種)
アイナメ、アカシタビラメ、イカナゴ(雑魚を除く)、イシガレイ、ウスメバル、ウミタナゴ、エゾイソアイナメ、クロウシノシタ、キツネメバル、クロソイ、クロダイ、コモンカスペ、サクラマス、サブロウ、シロメバル、スズキ、ヌマガレイ、ババガレイ、ヒラメ、ホシガレイ、マアナゴ、マコガレイ、マゴチ、ムラソイ、ビノスガイ、ナガヅカ、マツカワ、カサゴ
【水産物の安全確保に向けた取り組み】
・水産物の放射性物質のモニタリング
・自治体による検査計画
・基準値を超えた際の対応
・水産物の検査結果
・セシュウム以外の核種の検査結果
・環境中に放出された放射性物質(海水)
【海産魚介類への放射能の影響】
・原発の南側、福島県沖水深50m以浅で濃度が高い魚介類が多い
・水深の深いところ、沖合ほど高い濃度の魚介類が少ない
・魚介類の種類によって、放射性セシウムの濃度が低い、あるいは速やかに低下したものと、そうでないものが見られる
・時間の経過とともに速やかに低下したものがある
→濃度が非常に高かった魚種でも、長期的にみれば低下傾向が明確にみられる
【速やかに濃度低下した魚介類の例】
過去の知見で放射性セシウムを蓄えにくいとされて きた魚種
・魚以外の海産魚介類
イカ・タコ類 エビ・カニ類 貝類 ナマコ類
(軟体動物や甲殻類では平成24年2月以降100㏃/s超はない)
・低い(速やかに低下)傾向の魚類
カツオ、サンマ等の回遊魚 / コウナゴ、シラス等栄養段階が低次+世代交代が早い
キチジ、メヒカリ等 深い所に生息している魚
【高い傾向の魚類】
おもに沿岸性で定着性の強い魚類
・沿岸性メバル類・沿岸性カレイ類・ヒラメ・アイナメ・コモンカスペ
・個体による値のバラツキが大きい(生息環境、履歴の違い、年齢、サイズによると思われる)
【試験操業の取り組み】
・福島県の沿岸漁業は、操業を自粛していますが、一部の魚介類を対象に平成24年6月より試験的に操業が開始されています
【検査の流れ】
・毎週200検体程度(海産物)
・福島県水産試験場魚(体の測定・切り身処理)
・福島県農業総合センター(検査)
・結果の公表 /水曜日夜→翌日の新聞等・福島県ホームページへの掲載
【試験操業の対象種(72種)】(平成28年3月2日現在)
・魚類 47種
アオメエソ(メヒカリ)、アカガレイ、キアンコウ、コウナゴ、サヨリ、マガレイ、シラス、ブリ、マイワシなど
・甲殻類8種
ケガニ、ズワイガニ、ヒラツメガニ、ボタンエビなど
・イカ・タコ類7種
ケンサキイカ、スルメイカ、ヤリイカ、ミズダコなど
・貝類8種
アワビ、シライトマキバイ(ツブ)、ホッキガイなど
・その他2種
オキナマコ、キタムラサキウニ
【試験操業における課題】
1、出荷対象種の拡大
28種の海産魚介類に出荷制限指示(平成28年3月2日)
出荷制限魚種の混種から漁場、漁法が制限されている
2、風評対策
福島県産魚介類の安全性や自主検査などPR不足
漁獲量が増加した場合、価格低下や売れ残りが懸念
3、本格操業に向けた検査体制の整備
現状の検査業務においても多大な労力を要している
対象魚種が増えた場合、検査機器や検査員の不足
【販売(出荷)状況】
・当初、福島県内のみの出荷
・現在、東京(築地)、横浜、仙台、名古屋等の県外中央卸売市場など15都府県
(・原発事故前は、「常磐もの」と高い評価)
(・消費地市場価格は概ね他県産と同等で取引)
(・産地表示 基本的には、福島県沖 / 小売店では「相馬産」「原釜産」、「小名浜産」
の場合あります)
【今後の取り組み】
1、出荷対象種の拡大
・安全が確認された魚種の出荷制限 解除を求めていく
・解除された魚種については、関係団体調整のうえ試験操業実施
2、風評対策
・あらゆる機会、手段により流通業者や消費者に対してPR
・イベントを通じPR
・マスコミ、流通業者を対象としたセミナー、ツアーの開催
3、本格操業に向けた検査体制の整備
・有識者を交え、流通業者、消費者の理解を得ながら効果的な検査体制構築の協議を進める
・検査機器の整備、検査員の確保
【セシウム以外の核種の検査結果】(2011.4.11〜2014.10.15採取分)
・水産物については、水産庁によりストロンチウム90、プルトニウム、アメリシウム241の検査を実施、これまで放射線ストロンチウム80点、プロトニウム18点、アメリシウム13点について検査を行い、ほとんどが事故前の範囲内であった
【環境中に放出された放射性物質(海水)】
【今後の課題】
・水産物の安全確保のため十分な取り組みを行っていく
・安全な水産物の供給のため、モニタリング及び汚染メカニズムの解明等の取り組みを継続する
・水産物の安全性について国内外へ適切な情報提供を行い、風評被害の払拭に取り組むとともに、輸入規制措置の早期撤廃を働き駆けていく
資料:経済産業省資源エネルギー庁、農林水産省水産庁、福島県、福島県水産試験場、福島県漁業協同組合連合会、いわき市、JAいわき市
「福島 葛尾村 復興支援活動の報告」 (NPO法人おにスポ事務局長佐藤孝夫氏)
【事例発表者】 氏名 佐藤孝夫 昭和35年9月22日生まれ(55歳)
平成22年から総合型地域スポーツクラブ「スポーツコミュニティのぼりべつクラブおにスポ」事務局長として活動。法人化した現在もボランティアで参加。復興支援は主にイベント開催を担当している。
【経緯】
当法人は総合型地域スポーツクラブの全国ネツトワークに加盟していて、震災直後は福島市内の地域クラブを窓口に物資を送っていました。現地の情報は震災直後から現地に入つていた宮崎県の地域クラブのメンバーから携帯メールで頂いており、我々としても被災地に直雑お役に立てることが無いか模索していました。1年が過ぎ、被災者が一時避難所から仮設住宅に転届した際に、宮崎県のメンバーから「先の見えない避難生活の中で一瞬でも癒しを届けたいJという呼びかけに賛同し、こいのばりを携えて、はじめて被災地を訪れることになりました。我々は福島県地域スポーツクラブ連絡協議会会長が避難されている葛尾村の支援に入ることになりました。この頃、高齢男性の孤独死が問題になり、対応していただいた葛尾村役場の方々もこの問題に苦慮されていたため、高齢男性の居場所作りに焦点を絞り、福島県、葛尾村、地元自治会や地域クラブと連携し「夢工房葛桜(かつろう)」設立に至りました。
【今後の活動について】
夢工房葛桜は現在、高齢男性の居場所に限らず、仮設住宅から離れて暮らすようになった子供や孫が気軽に集まる場所としてや、これまで支援に関わつてきた県外の団体が集結する場所として活用されています。しかし、この様な支援がいつまでも続くことを望んでいるわけではなく、葛尾村役場と協議しながら、復興公営住宅の中にこの仕組みを持っていけるように働きかけています。我々は復興公営住宅が完成し、夢工房葛尾の機能が移転できるまではこの支援を継続していきたいと思つています。また、全国の地域クラブとの連携により昨年実現することが出来た『スカイランタンプロジェクト』により、震災を風化させない、犠牲者への哀悼の意を持ち続ける活動も継続していきたいと思います。
【直近の支援活動】
2015年12月19日に葛尾村の狐田仮設と過足(よぎあし)仮設で絆クリスマス会を開催しました。その際、夢工房葛尾では木工加工体験を実施し、普段は仮設住宅から離れて暮らしているお孫さんたちが参加してくれました。