2017年 室蘭登別食介護研究会 市民講習会

 「『地域医療』ってなんだ?」 報告

【はじめに】

 登別に移り住み、開業してから3年が経ちました。市民講習会の開催も3回目。えらそうに、「市民講習会」と銘打ってはいますが、毎年、自分の古い友人や恩師を招いて宴会を開く、ということが大前提のようになっています。もちろん、様々な土地を移り住んできましたので、そうした、よその土地の人びとの考えや意見を、この登別の土地で開陳してもらうこと自体に、大きな意味はあろう、そうも思ってはいるのです。

 さて、その2つの意味、ともに、今回の市民講習会で、ある意味ピークを迎えた、かもしれません。ひとつ目は、呼んでいる講師の面々が、私の研修医時代の同期生である、ということ。単純に昔話にも花が咲き、宴会もそれは楽しいものでした。ふたつ目、佐久病院は、間違いなく、少なくとも戦後のある時期、日本で最高の病院だった。またその院長若月俊一先生は、日本が世界に誇る名医でした。その佐久総合病院の考え方、思想を、登別の地でお聞きし、この地域で生かせるものを吸収させて頂くこと。

時代は移り、もしかしたら、佐久総合病院の名前は、既に、北海道の若い人々にとっては、聞いたこともないような名前になっているのかもしれない。・・・そんな不安もありました。しかし、3回目の市民講習会にして初めて、開始時間前に席は埋まり、用意した配布プリントは底を尽き、お集まりの方々にお聞きしたところ、大半の方が、佐久総合病院の名前をご存知だったのです。

 

今回、準備していたテーマは二つ。ひとつは、昨今至るところで耳にする目にするようになった「地域医療」という言葉について。これはもともと、佐久を筆頭に、長野県内で使われ始めた言葉でしたが、若月俊一先生はこの言葉をあまりお好きではなかった。こんな言葉を残しておられます。

「医療はすべからく地域医療であるべきで、地域を抜きにした医療はありえない。あえて地域医療というのはいかに地域がないがしろにされているかということの裏返しである。」

佐久で学んだ我々としては、現在、安易にも見える使われ方をしている、この「地域医療」という言葉の意味を、もう一度考え直してみる必要がある、と考えました。

ふたつ目は、地域医療の中心を担うべき存在である我々「医者」は、それこそ、どの「地域」で働くことが望まれるのか。それを決定する要因は何か、という問題です。これも、若月先生の言葉を踏まえたものです。

「若者よ。若い医学生よ。私はもう一度君たちに呼びかけたい。母なる、君らの郷土を愛せ。」

 

以下に掲載するのは、当日配布の資料で、一部、各講師のスライドから引用した部分もありますが、主として皆川の方で準備をしたものです。当日の市民講習会の発表を網羅した、とは言い難いものですが、それでも大まかな流れは伝わるものと考えています。最後に、「終わりに」として、皆川の方で、各講師の考えを総括した形で、テーマをまとめてみています。

「地域医療」を考えるにあたり、僅かながらでもご参考になれば、と思います。


 

室蘭登別食介護研究会 市民講習会

「地域医療」ってなんだ?

〜佐久総合病院の医師を招いて〜

 

14001415  ごあいさつ・基調講演 「『地域医療』という言葉の意味するもの」

(皆川夏樹(みながわ往診クリニック院長/室蘭・登別食介護研究会代表))

14151445  「佐久総合病院の考える『地域医療』」

(山本亮先生(佐久医療センター緩和ケア内科部長)・比佐岳史先生(佐久医療センター消化器内科部長))

(休憩)

14501520  「美唄出身ですけど、なにか?〜医師は「故郷」に帰るべきか」

(大浦也明先生(佐久医療センター呼吸器内科医長)・清水賢一先生(佐久医療センター麻酔科副部長)

15201600  シンポジウム/質疑応答 「西胆振の『地域医療』はどうあるべきか?」

1600   閉会

「医療はすべからく地域医療であるべきで、地域を抜きにした医療はありえない。あえて地域医療というのはいかに地域がないがしろにされているかということの裏返しである。」
「若者よ。若い医学生よ。私はもう一度君たちに呼びかけたい。母なる、君らの郷土を愛せ。」
(若月俊一:佐久総合病院元院長)

 

 

主催:室蘭登別食介護研究会 みながわ往診クリニック

後援:登別市  室蘭医師会  北海道看護協会室蘭支部  西いぶり在宅ケア連絡会

  社会福祉法人登別市社会福祉協議会   室蘭民報社  北海道新聞室蘭支社

 

 

地域医療のメッカ 〜 佐久総合病院への思い

みながわ往診クリニック/室蘭登別食介護研究会代表 皆川夏樹

 

 日本で一番高いところを走る鉄道、信州は小海線。単線路に揺られていくと、広く見渡せる佐久平の遥かな田畑の中に、ひときわ大きくぽつねんとそびえる建物が見えてくる。

佐久総合病院。日本の農村医療・地域医療のメッカ。そこに、日本が世界に誇る名医、若月俊一先生がいたのだ。―――

 今も私の診療室の本棚にある、岩波新書『村で病気とたたかう』(若月俊一著)の、そでに書かれた紹介文を引用します。

“長野県臼田町――予防医学や巡回診療に数々の業績を残し、国際農村医学会の主催地ともなった佐久病院がそこにある。戦前の学生運動の挫折後、初心を忘れず農村に入り、敗戦後院長となった著者が、戦後民主主義を身をもって実践しつつ築き上げたこの病院の苦闘の歴史から、医療とは何か、人間の生き方の問題等多くの示唆が得られよう。”

 

若き日の私は、シュバイツァーに憧れ、野口英世に憧れ、そして、村で病気とたたかう若月俊一先生に憧れた。寒村の医療、発展途上国の医療に身を投じることを望み、同じ思いで日本中から集まった仲間と共に、佐久で研修医生活を送った。

地域医療、という言葉は、「へき地医療」という意味合いを含んでいたかもしれない。若月先生はその言葉を嫌い、農村医療、という言葉を好んで用いた。

人口の少ない、人口密度の少ない、そうして、医療資源も少ない土地で、どのような医療が構築されるべきなのか。一人一人の医者はそこで、どのような医者であるべきなのか。

月日は流れ、私は国際医療に身を投じることなく、登別の地で往診クリニックを開いている。共に研修医生活を送った仲間たちは、出身地に帰った者も、佐久に残った者もいる。若月先生が亡くなられ、へき地は少なくなり(?)、農村は目立たなくなり、地域医療、という言葉は、今となっては、もとより何を意味していたのかよくわからないまま使われ続けているようにみえる。

佐久平の地にも、新幹線が通り、臼田町は佐久市に飲みこまれ、佐久病院は移転もし、ますます大きくなり、そこで行われている医療も昔とは違うものになったのだろうか。

 

 深夜1時頃、当直中、患者が途切れた救急外来でウトウトしていると、ずーり、ずーり、とサンダルを引きずる音がする。思わず眠気が吹っ飛び、背筋が伸びる。米寿も近い若月先生が、執筆を終えて自宅へ帰られる前に、救急外来を覗いて行かれる。

お前はまじめに医者やってるか。あの緊張感は、きっと死ぬまで忘れられない。

 

《参考文献》

『村で病気とたたかう』若月俊一著 岩波新書 / 今もってなお、地域医療を志す者のバイブル。

『信州に上医あり』南木桂士著 岩波新書 / 佐久病院の医師であり芥川賞作家である著者による、若月俊一先生の「評伝」。

 

地域医療とは?

 

厚生労働省はこう言っている

 

 

★北海道地域医療構想 (HPより)

š  平成37年(2025年)にいわゆる「団塊の世代」がすべて75歳以上となる中で、医療のあり方も、これまでの「治すことを重視した医療」/「病院完結型の医療」から、治すだけではなく、生活の質を重視しながら、患者の方々が住みなれた地域で暮らしていくことを「支える医療」/「地域完結型の医療」に変わっていく必要があります。

š  道では、このような医療のあり方や人口構造の変化に対応し、今後必要となるリハビリテーションや在宅医療の確保など、バランスの取れた医療提供体制を構築することを目指して、医療計画の一部として平成281222日に「北海道地域医療構想」を策定しました。

š  この構想は、圏域ごとに、平成37年(2025年)における病床の機能区分ごと(高度急性期、急性期、回復期及び慢性期)の必要量を定めるとともに、その実現に向けて、

  (1)病床機能の分化及び連携の促進、

  (2)在宅医療等の充実、

  (3)医療・介護従事者の確保・養成

  等の施策の方向性を示すものです。

š  また、地域医療構想は、地域ごとで考え目指す姿を共有するとともに、構想を策定した後も、その実現に向けて関係者が協力して取り組むための中長期的な枠組みであり、引き続き、各地域に設置している「地域医療構想調整会議」等の場で協議を行っていきます。

 

 

 

臨床研修制度ではこうなっている

臨床研修の到達目標

・・・・・

(3)地域医療

◎地域医療を必要とする患者とその家族に対して、全人的に対応するために、

1) 患者が営む日常生活や居住する地域の特性に即した医療(在宅医療を含む)について理解し、実践する。

2)診療所の役割(病診連携への理解を含む。)について理解し、実践する。

3)へき地・離島医療について理解し、実践する。

◎必修項目
へき地・離島診療所、中小病院・診療所等の地域医療の現場を経験すること

 

 

 


š  地域医療 ≒ へき地〜農村〜「非都市部」の医療

                  ↓

š  地域医療 ≒ (都市の中でも)小規模な医療、総合診療、在宅医療、・・・などを指す。

                  ↓

高齢者医療 ⇒ 様々な領域の疾患を抱えている患者

      「寿命」を見据えて、「積極的な」「高度先進医療」を必ずしも必要としない患者 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

医師は「故郷」に帰るべきか?

地域枠入試について

       地方の医師不足が深刻となっている。

       医師不足の解消のため、国は2008年春の入試から地方の医学部の入学定員を増やす政策を始めた。

       地域枠(文部科学省の見解)

@    大学が地元出身者や地域医療に従事する意思のある者を対象として設けている入試枠(地域枠入試)

A    都道府県等が卒後地域医療に従事することを条件に貸与している奨学金枠(地域枠奨学金)

B    @とAを組み合わせた、奨学金つきの入試枠

       全国の68大学(2013年度の募集人員の総計1,425名)で地域枠が設定されている。

 

画像

 

地域枠入試の結果、旭川医科大学では、道内出身者の割合が、34.4%(2007年)→63.4%(2014年)と、ほぼ倍増した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シンポジウム  西胆振の“地域医療”はどうあるべきか?

 

設問@ 西胆振の医療資源  / 病院数 医師数 看護師数 ・・・・
どうなっていくのか?  どうなるべきなのか?

 

 

 

西胆振地域は、

u  入院・入所ベッド数は多い。

u  外来診療所/通所施設(≒自宅を基盤にした医療介護体制)は少ない。

u  医師数は平均並み。

u  看護師数は多い。

u  介護職員は平均並み。

 

必要な病床数15万床減少 団塊の世代が75歳以上になる25年  2017.3.9 室蘭民報

各都道府県が医療提供体制の将来像を示す「地域医療構想」で、2025年に必要な病院のベッド(病床)数は、13年時点の134万床あまりから約156千床、11.6%減少する見通しとなることが分かった。・・(中略)・・41道府県で病床が過剰とされ、道内の削減率は12.4%。鹿児島など8県は削減率が30%を超す。

 

病床数削減に言及  室蘭市議会 管理者『集約化図る』   2017.3.7 北海道新聞

定例室蘭市議会は6日、代表制の一般質問を続行した。道が地域医療構想で掲げる西胆振6市町村の病床数を2025年までに15年比26%減の2826床とする目標について、市立室蘭総合病院(549床)の土肥修司病院事業管理者は個人的な見解としつつ「人口規模と効率からいえば急性期病院の集約は避けられない」と病床数削減に言及した。

  〈中略〉

土肥病院事業管理者は人口減などで「今後病院の利用料は大きく低下し、需要に対応した病床喜納の調整は必須」と述べた。「医療技術の向上のためにも、必要な医師やスタッフの確保のためにも、集約化を図らなければならない。市内の病院が消耗戦をしていては共倒れになる可能性もある』との認識を示した。

青山剛市長は「(構想は)バランスの取れた医療提供体制の構築を目指すものであり、病床削減を目的としているものではない」と述べるにとどめた。

 

設問A 「総合診療」と「先端医療」  そのバランスは?

 

 

設問B 「地域」に必要な医者を集めるにはどうしたらよいのか?

 

 

★室蘭の3大病院の勤務医の出身大学(各病院のホームページより)

 

 

★佐久総合病院の勤務医の出身大学(大浦先生のスライドより)

 

 

【終わりに・・・まとめ】

 

 

★『地域医療』ってなんだ?

 

この、全体的な大きなテーマに対して、皆川は、基調講演の中で、一般的には、「地域医療=へき地医療」と考えられていることのみ指摘しました。配布プリント中でも、医学部卒業後の臨床研修医の到達目標として、国は、「へき地・離島診療所、中小病院・診療所等の地域医療の現場を経験すること」としており、地域医療=へき地医療、ないしは、今日的には、大学病院や基幹病院などの大病院で行われている、いわゆる「先端医療」、「高度先進医療」、「専門医療」、といったものと対比される、診療所の医療、総合医療、プライマリケア、などととらえていることが何となくわかります。

今になって思えば、若月先生が嫌っていたのは、こうした対比的な考え方そのものだったのだと思います。

シンポジウム内でも触れましたが、皆川が記憶していることとして、ちょうど私たちが佐久で研修をしていた20数年前、まだ若月先生がご存命だったころ、佐久総合病院として、「腎移植手術を行うかどうか」という議論がありました。医療、少なくとも「先進医療」は、どんどん新しい知見、新しい器械、新しい検査手法、が生まれてくる。当時は、生体腎移植、ということが話題になるような時代だったのです。それを、佐久病院として行うのかどうか。一部の医師は、「これまで佐久病院は、地域に根差した、診療所の医療を前面に出してきた病院だ。腎移植のような高度な医療は、わざわざここでやらなくても、東京に行ってやればいい」という趣旨のことを考えた。研修医の私もその意見に近かったろうと思います。病院にとって、こうした先進技術を一つ取り入れる、というのは、実際大きなことです。必要な器械をそろえること、手術をできる医者、麻酔科医や看護師・手術室スタッフの教育、・・・それに見合うだけ、長野の田舎の地で、腎移植を必要とする患者数がいるのだろうか?そうしたことは、東京のような、人口の集まる都会に任せておけばいいのではないか?・・・古くからいる医者ほど、そう考えたのではないか。・・・病院はこうした議論で、二分したような状態になった。

それを、米寿前の若月先生は、一喝なさったのでした。

「二足の草鞋を履けばよい」と。

「佐久病院は、これまで通り、診療所の医療も行うし、先進医療が必要だ、というのならそれもやる。地域に必要なことは何でもやる。」・・・これを、院内の会議だったか、で初めて若月先生がおっしゃったときの衝撃は、今でも覚えています。

先進医療、も、総合医療、もいいだろう。それが地域に必要なのであれば、佐久病院はなんでもやる。・・・それが、若月先生の考える「地域医療」だったのだろう、と思います。

こうした発言が「衝撃」であったこと、の意味は、なかなか一般の方々には伝わりにくいのではないでしょうか。

私は当時、研修医でしたから、もちろん、これから自分はどんな医者になっていったらいいのか、を考えないといけなかった。同期の皆も、他のほとんどの学生が、卒業した大学に残って、大学病院で研修をする中、佐久病院を研修先に選んだのは、「診療所で独りで診療ができるような医師になりたい」と思ったからです。事実、佐久病院で研修医として教えられた基本は、「村の診療所に一人で勤務する時に、最低限できなければいけないこと」というのが常に言われていたテーマでした。

一方、大学病院では、卒後すぐに、「消化器内科」や、「血液内科」などの専門の研究室を選んで、最初から専門領域の、先進医療へ進むことになる。当時も今も、大学病院=先進医療、佐久病院=診療所医療(総合診療)、といった先入観は持たれており、それらは対立するものであり、「両立」できる、とは、誰も思っていなかった、というのが現実であった。ところが、若月先生は、いともあっさりと、両方やれ、と言う。これがいかに困難な事であり、かつ、発想の大転換であったことか。

 

(山本先生のスライドより)

 

 確かに、今考えてみても、一人の医者が、先進医療と総合診療を、業務として両立することは事実上不可能でしょう。神の手、と言われるような外科手術の達人は、決して村の診療所にいることはない。ブラックジャックは何でもやっているように見えますが、やはり昔の話であり、あくまで彼は天才外科医であって、そしてやっぱりフィクションのお話しです。ドクターコトーは、モデルがいる、とも言われますが、医者の目から見ればやっぱり明らかに作り事なのです。残念ながら、天才外科医が孤島にいることはない。いや、いたとしても、孤島にいる時点で、天才外科医であり続ける道は捨てることになる。

しかし、病院、という集団として、先進医療と診療所医療・総合医療を両立することはできる。そこには色々な医者がいて、先進医療に取り組む医者も、診療所医療を引き受ける医者もどちらも共存し、お互いにその必要性を認め、それぞれの患者に、最も適した医療を提供する。・・・その全体像こそが、その思想こそが、「地域医療」なのである、そう思います。

今回、清水先生が発表の中で、そのことを明確に表明してくれました。彼は麻酔科医、であり、ほとんど手術室の中の住人ですが、「麻酔科医なりに考えた『地域医療』は、麻酔科医の本業にとっても重要であった。」と述べ、自分も地域医療の一員である、と語ってくれました。こうしたことを、総合病院の麻酔科医が了解している、というまさにそのことが、佐久病院の強みを表していると思います。

 

(清水先生のスライドより)

 

繰り返します。つまるところ、地域医療、というのは、思想なのであり、それぞれの地域が、その地域の特性をよく考え、理解して、その地域に必要な医療を用意することが求められている。それをリードするのは、本来はその地域の「基幹病院」であるべきなのでしょうが、このことがいかに難しいか。

 

(比佐先生のスライドより)

 

佐久病院も、現在は、分割し、だいぶ趣きを変えたようです。時代の要請で、新幹線の駅近くに、医療センターを建て、古い本院は「総合診療」を、医療センターは「高度専門医療」を、という分担をするようになった。若月先生の思想は受け継ぎながらも、しかし、入れ物が分かれてしまえば、それぞれに住む医者の意識も変わってしまう。原点である「診療所の医療」が、医療センターでは忘れられていきはしないか。・・・比佐先生の発表は、こうした不安を端的に表明したものでした。

若月俊一、という、カリスマ的存在が亡くなってしまい、二足の草鞋、という、地域医療の維持が、佐久病院ですら難しくなっていく。・・・それもまた現実なのです。

 

振り返って、我々の住む西胆振の医療は、どうあるべきなのでしょうか?

再掲しますが、西胆振地域は、とにかく、病院・ベッド数が、全国トップ、と言っていいくらいふんだんにある地域です。

 

 

裏を返せば、「病院医療」に重きを置いて、総合診療/在宅訪問診療は比較的には脆弱な地域である、ということもできます。地域の住民の方々にとっては、どちらも充実しているに越したことはない、のでしょうが、国民皆保険制度の中で、特定の地域のみが突出して医療(体制)が充実している、ということも難しいのは事実でしょう。

 

「地域医療」という言葉の中身も理解しないまま、いたずらに、「地域医療の充実を」という言い方には、即賛成はしかねます。

今この地域にある医療体制を十分理解し、別にこの地域が「医療過疎地域」というわけではない、むしろ過剰なほど医療が充実した地域であることを理解した上で、これからこの地域に必要と思われる医療はどんなものであるのか、その為に必要な医師や看護師をどこから連れてくるのか、どうやって育成するのか、・・・それら幾重にも絡まった問題を考えていくのは、もちろん、医師会〜基幹病院の役割でもありましょうが、広く住民の方々の要求・希望を伝えていくことも大切だと思います。